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嵐と杏【嵐にしやがれ】杏が嵐と新撰組のルーツを辿る!料理の腕前は?

の詳細です。

杏と嵐で、

新撰組のふるさとともいうべき、

日野で、日野宿本陣や、

佐藤彦五郎 新撰組資料館を

巡りました。

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大野智と沖田総司

大野智は、『バクマツバンプー~幕末蛮風~』で

沖田総司を演じたことがあり、

沖田総司についてどんな印象か聞かれると、

「剣さばきが尋常じゃない印象」だそうです。

 

舞台での剣さばきがよほど大変だったのでしょうか。(;^_^

 

大野智によると、沖田総司の写真はないが

どうも痩せていたらしいです。

 

沖田総司といえば、天才剣士+薄命の美青年という印象ですが、

実際はイケメンではなかったと聞いたこともありますし、

写真もないので、よくわかりませんね。

 

わからないからこそ、想像力も掻き立てられ、

より魅力的な人物に映るのかもしれませんね。

 

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新撰組とは

新撰組は、江戸幕府末期、徳川将軍を守るために、

浪士などで結成された治安部隊です。

 

池田屋事件など京都での活躍が目立ちますが、

主要メンバーの多くは、東京の日野、調布、府中出身の

浪士たちでした。

『あなたも新撰組通になれる!杏と行く幕末ロマン授業』

というコーナーでの案内人は相葉総司雅紀ということで、

あの浅葱色の羽織を着て現れました。

 

ちなみに、新撰組の象徴ともいえる羽織のデザインですが、

羽織のダンダラは忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたときに着ていた羽織の柄で、

浅葱色は武士が切腹のときに着る裃の色である。

製作したのは大文字屋呉服店(現在の大丸)。

一説には、大文字屋ではなく「呉服問屋・菱屋」ともいわれる。

引用元:wikipedia

とのことです。

 

ちゃんと意味があるデザインとなっていたのですね。

決意の強さが感じられるデザインです。

 

杏と嵐が合流した日野宿本陣(ひのしゅくほんじん)という建物は、

土方歳三・沖田総司・山南敬助ら

新撰組の主要メンバーが出会った場所です。

 

新宿から電車で約30分で行ける

新撰組のふるさとともいうべき場所です。

 

ここで、芸能界一の歴女である杏が

新撰組の羽織を纏って登場!

 

杏の歴史好きは、幕末史から入ったそうで、

新撰組の小説や漫画を読み始めて

新撰組を好きになったそうでう。

 

新撰組のメンバー紹介

リーダー(局長)は近藤勇

副リーダー(副局長)は土方歳三

その下に一番隊から十番隊まで十個の小隊があります。

 

それぞれの組長には、

一番隊 沖田総司

二番隊 永倉新八

三番隊 斎藤一

四番隊 松原忠司

五番隊 武田観柳斎

六番隊 井上源三郎

七番隊 谷三十郎

八番隊 藤堂平助

九番隊 鈴木三樹三郎

十番隊 原田左之助

となっていて、聞き覚えのある名前がありますね。

 

新撰組のファンは女性が多く、

徳川幕府のために最後まで戦った忠誠心や男らしさが

今でも女性を虜にしており、

日野宿本陣を訪れる人の半数以上は女性となっています。

 

杏が語る新撰組の魅力は、

「若くして志を持って命をかけて戦ったというところが

強さや儚さがあって(女性には魅力的なのでは?)」

ということです。

 

杏が「ここ(日野宿本陣)に来れて感激」

というほど、新撰組のファンにとっては

聖地にも近い場所なのではないでしょうか。

 

新撰組の秘密

『6つの見どころでわかる新撰組の故郷めぐり』というコーナーでは、

嵐のメンバーみんなも新撰組の羽織を着て相葉クイズに挑戦します。

 

見所その1

部屋に隠されたヒミツということで、

土間から広間に上がる框(かまち)が

なぜ高く作られているのか?という問題でした。

 

通常は1尺5寸(約45cm)だが、

日野宿本陣の框は2尺5寸(約76cm)あります。

 

この問題、いきなり松本潤が正解を言い当てちゃいます。 Σ(゚◇゚;)エッ

松本潤 「一段登らないといけないから時間かかる」

相葉雅紀 「正解!`・ω・´)ビシッ」

ということらしいです。

 

広間では宿場の公金など多額のお金を扱っていたため、

暴漢などの襲撃に備え、框を高くして上がりにくくしたそうです。

 

また、鴨居も低くして刀を振れなくしていると言われているらしく、

刀が普通に使用されていた時代らしいエピソードです。

 

見所その2

沖田総司のいじらしさが感じられるエピソードが紹介されます。

 

広間を抜けると玄関の間という部屋があり、

右に式台という身分の高い人用の玄関があります。

 

ここで結核に倒れた沖田総司が、今から戦いに行く

近藤勇らに心配をかけまいと、元気をアピールするため、

四股(しこ)を踏んで見せたということです。

※これには諸説あります

 

その3か月後、沖田総司は27年という短い生涯を終えました。

3か月後に亡くなってしまうほど、四股を踏んで見せたときは、

ずいぶん体調は悪かったのではないでしょうか。

 

沖田総司の男気も感じられるエピソードです。

 

ちなみに、玄関の間では、土方歳三がよく昼寝をしていたそうです。

 

ここで、土方歳三がモテモテだったという、

杏の新撰組豆知識が披露されました。

 

親戚にあてて書かれた手紙で

自分あてに来たラブレターの束を送ったりするような、

しゃれっ気のある人でもあったそうです。

 

見所その3

土方歳三の写真の秘密

 

一番奥の部屋は、控えの間となっており、

この部屋には、土方の付き人で14歳で

新撰組に入隊した市村鉄之助が、かくまわれていました。

 

北海道の五稜郭で、最後の戦いに挑んだ土方の遺品を

3か月かけて日野まで運んだのは、この市村鉄之助です。

その後2年間、控えの間にかくまわれていたのです。

 

その遺品が、有名な土方歳三の写真です。

(上の写真です)

一度は歴史の本などで目にしたことがあるのではないでしょうか?

 

市村鉄之助が命がけで日野まで持ち帰ってくれたおかげで、

土方歳三の姿を後世の私たちも知ることが出来ているのですね。(´;ω;`)ブワッ

 

見所その4

茶の間にある謎の板は何に使われていたでしょう?という問題でした。

 

土方歳三の実の姉ノブがよく使っていたとされる部屋の

柱の上の2か所くぼみの歩いたが置かれているのですが、

そこにはノブの趣味である三味線が掛けられていたそうです。

 

見所その5

日野宿本陣から歩いて1分にある『佐藤彦五郎 新撰組資料館』には、

新撰組の貴重な資料が展示されています。

 

ここで、杏のスカートが新撰組風のデザインであることに、

嵐が気付きます。

色も山形の模様も本当に新撰組調で可愛いスカートでした。(*´∇`*)

 

佐藤彦五郎という新撰組を資金面などで陰で支えた、

今でいうスポンサーの直系の子孫である佐藤福子という方が

資料館を案内するのですが、

杏はメガネをかけて本気モードでした。(☆Д☆)キラリーン♪

 

まずは、天然理心流神文帳という巻紙。

天然理心流とは、近藤勇・土方歳三・沖田総司ら

新撰組の主要メンバーが使った剣術の流派のことです。

 

名前の下の部分には血判が押されています。

血判とは、誓いの強さを表すもので、

指を切って血で捺印したものです。

 

つづいて近藤勇の書。

詩をつづった直筆の掛け軸で、

身分が上がっているときに書かれたもので、

堂々と力強いのが特徴だそうです。

 

近藤勇が持っていた短筒(たんづつ)もあります。

短筒は、丈の短い鉄砲で懐鉄砲とも言われるようです。

これは、近藤勇から彦五郎が譲り受けたものなのだそうです。

 

永倉新八の手紙は、杏がガン見していました。

土方歳三の手紙など、杏は夢中で見ていましたが、

嵐は蚊帳の外になっていました。

 

他にも、土方愛用の横笛(おうてき)や、

土方歳三の鉄扇(武器として使用された)

等も紹介されました。

 

実際に使っていたという、佐藤彦五郎の刀は、

2尺9寸あり、重さは3kg。

 

普通の刀は2尺4寸くらいなので、

佐藤彦五郎の刀は、鞘から抜くのも難しいほどのものだそうです。

 

どうも佐藤彦五郎は昔の人としては大きかったようです。

 

この刀を特別に杏が実際に持たせてもらっていました。

少し緊張したような面持ちで写真に写っていました。

歴史の重さを肌で感じていたのでしょうか。

 

長くなりましたので、【嵐にしやがれ】蕎麦屋日野館で杏の素顔に迫る!料理対決の行方は?に続きます。

 

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