高倉健さんが亡くなり、どのニュース番組でも
取り上げられ、いろいろな報道を見るたびに、
本当にどなたにも慕われ、素敵な人だったんだな、と
あらためて思い、本当に素晴らしい人が
日本からいなくなってしまったのだな、と思わざるを得ません。
そんな高倉健さんの素顔がうかがい知れるエピソードなどを
まとめてみました。
目次
高倉健は一途だった!離婚理由は?
高倉健は、1959年に美空ひばり・雪村いずみとともに
”三人娘”と呼ばれ、活躍していた江利チエミと映画での共演がきっかけで結婚し、
12年間おしどり夫婦として有名でした。
一途と離婚は相反するもののように感じますが、
高倉健の人生を考えると、やはり一途だったとしか思えないのです。
江利チエミは異父姉の借金2億円を自分で返済するため、
高倉健に離婚を切り出したのだそうです。
推測ですが、そのような理由で別れることに、
高倉健はなかなか納得しなかったのではないでしょうか。
が、最後には江利チエミの意思を尊重し、離婚に承諾したのではないかと思います。
離婚後は、独身を貫き、母親から毎年のようにお見合い写真が送られてきていたそうですが、
目をくれることもなく、生涯の妻は江利チエミただ一人となったのです。
(ちなみに、母親から送られてくるお見合い写真は、学校の先生が多かったそうです)
江利チエミ(享年45)が心不全で亡くなった後、
高倉健は毎年命日に世田谷区のお寺にある
江利チエミの墓参りを欠かさずしており、
命日近くになると、早朝や日が暮れてから、墓地の入り口から
そっと手を合わせ続けていた姿を住職の妻が目にしていたそうです。
高倉健の一途さ、謙虚さが表れているエピソードです。
本当に江利チエミのことを愛していたのでしょうね。
高倉健の素顔がわかるエピソード
離婚後、高倉健は
「このままではヤクザ役しかできなくなる」
と、役者として危機感を感じていたため、
演技の幅を広げるため、1976年に東映を退社し、
様々な役に挑戦します。
雪中行軍の演習中に軍隊が遭難し、多くの兵隊たちが命を落とした実話をもとにした
映画『八甲田山』での部下を率いる大尉の役を演じ、足が凍傷になるほどの
雪山での過酷な役を演じた高倉健に、自身のエッセイの中で、
「母が観に行った後、もうその雪の中ね、なんか雪だるまみたいに貴方が
這い回って、見ててお母さんは-切ない」って。(中略)
「もう少しいい役やらしてもらいなさいよ」って。
引用元:「あなたに褒められたくて」高倉健著
と、言われたことに関して、
「ありがたいですよね、母親って」
と、親子の絆を感じさせられます。
親からしたら、演技とはいえ、雪の中で
大変な役を演じる息子を見ると本当に辛く思えたのでしょうね。
それを息子がありがたく受け止めるというのが、また素敵なことです。
「幸福の黄色いハンカチ」での
刑務所から出所したばかりの男がラーメンを食べるシーンについて、
山田洋次監督は、
「あのシーンのために、健さんは1日か2日絶食していたって話を
後から聞いて「そうなんだ、そういう形で仕事をする人なんだな」と、
後で感心したことがありました」
と語っています。
非常にストイックに役作りをし、俳優という仕事に真剣に取り組んでいた姿が伺えますね。
1987年、1度だけ、高倉健がカメラの前で怒りをあらわにしたことがありました。
それは、私生活をほとんど明らかにしなかったため、
長期旅行中に病気説や死亡説が浮上した時のことでした。
「大体問題が失礼な問題なんだろ?
これだけいろいろ出ていてさ、迷惑しているのこっちだから」
と声を荒げる場面もありました。
また、テレビにあまり出たがらない理由は、
「テレビのメカニズムに慣れないっていうんですかね。
4台のカメラが絶えず本番の時も動いてたり、
どれで取られてるか、芝居を覚えるより、今どのカメラがだれを取っているのかも
それを覚えるのも疲れちゃうんですね」
と語っていました。
そんな高倉健が、1997年にSMAP×SMAPに出たことがあり、
とても貴重な映像となっています。
高倉健が出演依頼を受ける時の基準は、
高倉健ならではのこだわりで決まることも明らかになっています。
「テレビ(の出演依頼)が来たとき、みんなほとんど、断ってしまうんですけど、
みんなFAXで今やる人たち、字が汚いですよね。
字も読めないような依頼状ですね。
それで日にちがないですから、あと2日後までに(返事を)いただきたいとか
全部断りますね」
と2012年のインタビューで答えています。
仕事の依頼も真心が大事、心のこもった直筆の依頼で、
自分の心に響いたものだけ依頼を受けていたのだそうです。
1970年に自宅が全焼という悲劇に見舞われた際も、
取材のため集まった報道陣や駆け付けたファン全員に
自身でコーヒーを振る舞ったそうです。
そういう時にまで、周囲への気遣いが本当にすごい方で、
普通の人にはなかなかできないことだな、と感心感動するばかりです。
高倉健のお墓はどこ?
高倉健は、ご本人の希望で、家族のみの密葬という形で
既に執り行われました。
高倉健のお墓は生前に準備していたようです。
江利チエミと離婚した翌年の40年以上前に
神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園に建立されているそうです。
高倉健のお墓には、
「長男でもないのに『一』を名乗るのははばかられる」
と本名の小田剛一ではなく、芸名の「健」をとり、
『小田健史』と刻印されています。
また、江利チエミとの間に授かった子供は
残念ながら流産してしまったそうで、
高倉健の墓の手前には、水子地蔵があり、供養をされていたようです。
実家のある福岡にもお墓があり、そちらにも分骨をされるのではないか、
という話もあるそうです。
高倉健死去を海外の新聞などが報じる!
1989年『ブラック・レイン』の監督を務めたリドリースコット監督(76)は、
「健のことは忘れません。彼は真の俳優であり、寛大で親切な紳士でした。
日本でブラック・レインを撮影していた際は、僕のことを見守ってくれ、
本当に助けられました。彼は惜しまれるでしょう。」
とコメントしています。
高倉健死去は、世界的なニュースとなっており、
アメリカをはじめ各国で報じられました。
「日本のベテラン俳優 高倉健83歳で亡くなる」(アメリカ「USAトゥデイ」紙)
「日本のタフガイ俳優 高倉健83歳で亡くなる」(イギリス「デイリー・メール」紙)
「日本を代表する俳優 高倉健 悪性リンパ腫のため死亡」(韓国「中央日報」)
「日本の伝説の俳優 高倉健 83歳で亡くなる」(中国「新華社通信」)
「日本のクリント・イーストウッド 俳優の高倉健が亡くなる」(ブラジル・グローボ)
「日本のクリント・イーストウッド 俳優の高倉健83歳で亡くなる」(コロンビア・カラコルラジオ)
ストイックなところなどが、クリント・イーストウッドと重なる部分があるのでしょう。
高倉健が世界中で愛されていたということがよくわかります。
高倉健の命日の不思議
高倉健が亡くなった命日は、11月10日ですが、
この日は、森光子、森繁久彌という名優2人と
同じ命日なのです。
森光子(享年92)、森繁久彌(享年96)といえば、歌舞伎を除く俳優部門で、
過去に4人しか受賞していない文化勲章の受賞者で、
高倉健もそのうちの一人という、なんと4人中3人の命日が
11月10日ということになるのです。
不思議な偶然で、こういったこともあるのですね。
ちなみに、あと一人は、山田五十鈴(享年95)で
2012年7月9日に死去されています。
今思うと、高倉健という人は、『南極物語』や『海峡』『あ・うん』『あなたへ』などなど
本当に素晴らしい作品に出続け、どれも名作で、
高倉健出演作を誰もが必ずどれかは知っていて、
今でも観たい、と思える作品たちを遺してくれた気がします。
映画と同じ不器用さと優しさで人を愛し愛された高倉健は、
スクリーンの中で、人々の心の中で、永遠に生き続けることでしょう。
追記:
江利チエミとの復縁秘話
江利チエミの異父姉は借金だけでなく、
高倉健と江利チエミのあることないことを
報道陣に暴露するなどしていたようで、
高倉健にこれ以上迷惑が及ばないようにと、
離婚を決意した江利チエミは、高倉健より先に
離婚会見を行いました。
その時、高倉健はハワイにいたそうですが、
離婚会見を終えた江利チエミは、すぐにハワイの高倉健の元に行き、
「やっぱり離婚したくない」と言ったそうです。
高倉健は、
「離婚で世間を騒がせておいて、すぐに復縁ということはできない。
落ち着いたら、また一緒になろう」
と言ったそうです。
義理人情に厚い高倉健らしい発言だと思います。
一緒にいたい気持ちはありながら、そうはできない辛い気持ちが
あったのではないでしょうか。
その後の高倉健の離婚会見では、
江利チエミは全く悪くない、悪いのは僕のほうです、
と最後まで江利チエミをかばい、結婚生活は本当に楽しかった、
と言っていたそうです。
結果的に引き裂かれる形となった高倉健と江利チエミは、
離婚後も互いに愛し合っていたのでしょうね。
結局、江利チエミは次第にお酒におぼれるようになり、
肝臓や体を壊し、二人は復縁することなく、
45歳という若さでこの世を去ってしまいました。
あまりにも悲しい二人の運命ですね。
このような別れで、江利チエミを想い続けていたからこそ、
高倉健は、江利チエミのお墓のあるお寺から徒歩10分のところに
自宅を構え、月命日には訪れるということをしていたのでしょう。
二人の気持ちを思うと、本当に切なくなってきます。
高倉健の次回作はどういう話だった?
高倉健は、なくなる前、次回作に取り組んでいたといいます。
その話は、高倉健の最後の作品とも思えるような脚本でした。
主人公は、九州・阿蘇に住む老猟師。
年齢設定は、高倉さんとほぼ同年齢だ。
自分のことは全て自分でやる信念を持つ。
孤高の生き方を貫いてきた男だったが人生の締めくくりを考えた時、
それまで自分にかかわりのあった人たちにいったい何ができるのか、
何をしてあげられるのか、見つめ直していく物語。
仮題は「風に吹かれて」だった。
引用元:http://www.nikkansports.com/
高倉健は脚本にも参加していたようで、高倉健の思いが強く反映された作品
だったそうです。
高倉健の思いがすべて詰まった、感動作になっていたと思われる
この作品、ぜひ高倉健主演で見てみたかったと、
本当に悔やまれます。
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